悔しいという気持ち

思い返すと、自分は悔しい思いをした記憶がほとんどありません。
何事もほどほどに頑張る人間だったので、何かに全力で取り組んだけれども報われなかった、というような経験をしたことがあまりありません。負けて悔しいと思うようなライバルもいたことがないです。

僕が人生で一番頑張ったことは大学受験の勉強でした。
色々理由があってどうしても合格したい大学があり、まじめに勉強していたものの残念ながら落ちてしまっていました。
この時に湧いてきた感情は、努力が報われなかったことへの悔しさというよりは、自分が思い描いていた大学生活が送れないことへの絶望感とか、お世話になった人への申し訳なさとかのほうが強くて、悔しいとかじゃないもっと暗くて重たい気持ちでいっぱいだったように思います。

僕が思うに、悔しさっていうのは心にある程度ゆとりがある人しか持てない贅沢な感情なんですよ。
どうしても成功させなければならない問題に失敗したときは、悔しさではなく焦りとか動揺が強く表れるはずです。
悔しさは、必ず成し遂げなければならない目標ではないけど自分が全力で取り組んできた物事に失敗したときにしか生まれないので、必要に迫られた目標にしか挑めない生活を過ごしている人には縁遠い感情なのです。

悔しさを感じるシチュエーションとして、同級生にテストの点数で負けたり、同僚に仕事の業績で劣っているというような、同じポジションにいる他人に評価の上で負けてしまったという状況も考えられるでしょう。
このような場面では、自分の中で”あいつには負けたくない”という思いがなければ負けても悔しさは感じません。なので自己評価が低い人は、”どうせ勝てるわけがない”と考えているため負けたところで無念だとは思わないのです。

悔しさは時に人を成長させることがありますが、悔しさで成長できるのは元々悔しさを感じる程度の余力がある人間だけなのです。世の中は理不尽ですね。
とはいえ、嘆いているだけでは成長できません。自分も何かに全力で打ち込んだ結果悔しい思いをする経験をしてみたいですね。

自分は何に打ち込むべきでしょうか……。今こうしてブログを書いているわけですし、サイトの閲覧数を増やすための活動を頑張ってみるのもいいかもしれないです。
いやでもその場合何をもって失敗になって何に対して悔しさを感じるんだろう?そもそも悔しい気持ちなんて感じないに越したことはないのでは?

文章を書いているうちに自分でも何がしたいのかよくわからなくなってしまいましたが、これまでの人生を振り返っているうちに(なんか僕の人生何にも頑張ってないし薄っぺらいな……)という気持ちになってきたのでとにかく何でもいいから人生を頑張ってみようと思います。

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