今日はエイプリルフールでした。
僕は日頃から嘘をつきまくっているので、別にエイプリルフールだろうが何だろうが自由に嘘をつけばいいのに……って毎年思っています。
そもそも、近年の企業がやりがちな、あからさますぎるネタってもはや嘘とかじゃなくてただのユーモアじゃないですか?
なんかもうちょっと、「なーんだ、嘘だったのか!」ってなるくらいのリアリティが欲しい。
嘘をつく必要がないタイミングで、妙にリアリティのある嘘をつくからこそ生まれるおもしろがあると思うんですよ。
大学受験の日、一緒に会場まで来た同級生が緊張と不安でため息ばかりついていて、「ため息ばっかりついてたら幸せ逃げちゃうよね」とぼやいていました。
気を張りすぎていて気の毒に思ったので、和ませるために「でもため息って科学的には割といいものらしいよ?深く息を吐きだす分たくさん新鮮な空気を吸い込めるから、脳に酸素がいきわたるんだって」と適当なことをいいました。
後々この嘘はあながち間違いでもなかったと知るんですけど、この時は本当に適当言っただけです。
「へーそうなんだ!」とちょっと嬉しそうな同級生に、「まぁ嘘だけどね」と間髪入れずに返す僕。
「嘘なの!?適当なこと言わないでよ」と怒られましたが、同級生の顔はさっきよりもずっと明るくなっていました。
ところで、”誕生日”なんかの”誕”って字には生まれるっていう意味ともう一つ、でたらめを言うことっていう意味もあるんですよ。
時にでたらめから不幸が生まれるもあるかもしれないけれど、周りの人のちょっとした笑顔が生まれることもあるのだから、嘘をつかないことよりも良い嘘をつくことを心掛けるほうがよっぽど有意義だと思う。
大体”嘘をついていい日”ってなんだよ。嘘なんていつついたっていいだろ。
結局、面白くて他人を傷つけるようなものでなければ嘘ついてもOKだと思うんですよね。
一日限りのネタに全力出すよりも、日頃からユーモアで周囲の人たちを和ませるサービス精神をもてる人間になりたい。
……なんて全部嘘ですけどね。
僕が嘘をつくのは、嘘をついた後に話を合わせるため脳をフル回転させながら会話する感覚が楽しくてしょうがないからっていうのと、ばらした後の(この人なんで嘘ついたの??)という怪訝そうな顔を見るのが大好きだからです。
まぁでもせっかくなら人を楽しませる嘘をつきたいっていうのは本心かな……。虚言によってドーパミンを出してしまうことに対する申し訳なさを、まぁ笑顔になってるならそれでいいだろうと、肯定的にとらえたいという気持ちもある。
話を戻します。
エイプリルフールは別に「その日に限って嘘をついていい」という訳では無く、「この日は積極的に嘘をついていこうね」というノー残業デーみたいなものだと思えばいいのかもしれません。
そう思うとエイプリルフールにセンスのない嘘をつく個人・団体への怒りも少しは和らぐ気がします。