みんなの幸せ

今日も祖父母の家の大掃除を手伝ってきました。
タンスの奥にしまわれていた、昔よく遊んでいたおもちゃを容赦なくゴミ袋に入れるのは何度やっても心が痛みます。おもちゃの気持ちを想像してしまうからです。

いつもずっと一緒に遊んでいたのに、ある時から手に取られる回数が減って、そのうち暗いところに閉じ込められる。何年もたってやっと表に出てこられたと思ったら今度は袋にぎゅうぎゅう詰めにされて捨てられる。
一体おもちゃはどんな気持ちなんだろうと考えると、やるせない気持ちになってしまいます。

と、感傷的な気持ちになってみたものの、案外おもちゃサイドは「やっと解放されてうれしい!」と思っているかもしれません。
なんならしょっちゅう遊びに使われていたころは度重なる出勤にうんざりしていて、押し入れの中で静かに仲間たちとゆっくり過ごす時間のほうが楽しかったのかもしれないし、捨てられる時も自らの人(おもちゃ)生をまっとうできたことに満足しているのかもしれません。

自分以外の人の幸福度を自分の尺度で決めつけるのは大変無意味でくだらないことです。
周りから何と言われようとも自分なりの幸せを見つけ出していけばいいし、一見幸せには見えない誰かの幸せも尊重されるべきものなのです。

参考書にマーカーを引きすぎて何が何だか分からなくなってしまっている女の子も、自分の努力が可視化されている様子に幸せを感じているのです。
ツイッターで無関係の人に謎の上から目線リプライをする人も、指先一つで他人に対して優位に立てることに幸せを感じているのです。
お店で何も買わないくせに美人の店員さんにしつこく話しかけてくるおじさんも、タダでかわいい人に邪険に扱われずトークができることに幸せを感じているのです。

……自分の幸せのために人を不幸せにするのは良くないと思います。

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